陸別町ちょっと暮らし
6月16日(金) 実際の気温20° /10°
休息日。
曇り空から青空がのぞく。
昼から買い物に出掛ける。
郵便局に行く。
買い物の前に、移住窓口担当の清水さんのお勧め蕎麦屋に行く。「自社製粉でいつも挽きたて、つなぎを一切使用せず、道内産そば粉100%の手打ち」「各種雑誌に取り上げられることも多い有名店、
遠方から食べに来る常連客も多数」とのこと。
お昼時なので店は賑わっていた。
「道の駅 オーロラタウン93りくべつ」施設の「ふるさと銀河線 りくべつ鉄道」に立ち寄ると「幸福の黄色いハンカチ」のスチール写真が今日は飾られていた。
その横に、スチール写真より「陸別町で酪農しませんか!!」「新規就農者募集中」、「地域おこし協力隊員募集中」の大きい貼紙があった。
「りくべつ低温殺菌牛乳」は「全国的にも珍しい自治体運営による生産。低温殺菌による牛乳本来のまろやかな甘さが引き立ちます」と「山と森のごちそうカタログ」にあった。
奨励金を出してまで酪農就農者を募るのは、自治体運営によるからだろうか。生乳を確保しなければ施設が無駄になる、ということだろうか?
Aコープに寄って買い物を済まし各家の庭の花を撮影しながら帰る。内地なら、花が植えてあっても、それは人目につかない。塀か植木に隠れて咲いている。家々の花を眺めながら散歩する。これは、
都会の人にとって胸躍ることであり、在り得ないことである。
6月17日(土) 実際の気温24° /10°
「ワッカ原生花園に行きたい」と妻の願いで向かう。
午前9時過ぎ出発。
「ワッカ原生花園」に行く前に「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に選ばれた「感動の径」に寄りたい。ナビで検索しても見つからない。近くの道の駅で尋ねようということで、また道の駅
「メルヘンの丘めまんべつ」に行くことにした。
普通のソフトクリームと「白い恋人」ソフトクリームを食べてから尋ねると「隣の観光案内所で聞いてほしい」といわれ、観光案内所で聞いたがここでもよくわからなかった。「感動の径」の看板が立っている
ということであったが見当たらなかった。だが、いまは亡き黒澤明監督の映画『鴉』(オムニバス映画『夢』第五話)のロケ地であるという。車一台通らない。ロケは平成元年(1989年)で29年前の話である。
アイスクリームを売っていた娘が知らないのは当然である。
「そこより、知床斜里の『天に続く道』がいいですよ。私もつい先日行ってきて感動しました」、そこに行くことにした。
その前に昼食だが、礼文の旅館で出された食事がそこいらの海辺の民宿と同じ内容だったので(ウニは少量だったが美味しかった)、オホーツクの鮮魚が食べたくて網走回転寿司「カニ源」で昼食となった。
本日のおすすめと書かれた5種類の握りを頼んだ。
網走は霧に覆われていて肌寒かったが「ワッカ原生花園」も13℃だった。「原生ってこんなものよ。ガーデンとか公園とついているのは人の手が入っているから密集しているけど、自然に咲いているのは
疎らなもの・・・礼文島だって疎らだったでしょう」と、私が「花が少ない」というとそう答えた。
[道の駅 スタンプラリー2017]のスタンプ押し。
道の駅「サロマ湖」→「愛ランド湧別」
道の駅「おんねゆ温泉」に着いて妻が欲しがっている薄荷飴を買おうとしたが、「からくり王国・果夢林の館」は5時閉店だった。諦めて立ち去ろうとしたとき、6時の時報に合わせ、さまざまな楽器を
手にした森の妖精が踊りはじめ、羽の長さ約2mという大きなハト「ポッポちゃん」が登場して羽を動かしたりして、やがて妖精が左右に引っこみ、「ぽっぽちゃん」も引っ込んだ。雨模様で午後6時と
言うこともあり、観客が少なかった。
温泉に入る用意をしていたので、土曜日で人が多ければ諦めることにして、「置戸 勝山ゆうゆう温泉」に来た。
以前に来た時と同じくらいの車だった。妻に尋ねると、機会を待っていても無駄かもしれないから入りましょう、ということで入った。私は露天風呂に入ったが妻は入らなかったという。露天風呂には
目の細かい網が虫除けのため張り巡らされていた。
夜8時頃に帰り着いた。
お茶漬けが美味しかった。
6月18日(日) 実際の気温20° /11°
朝5時半頃にトイレに起きて快晴なのを知り、オンネトーで偶然出会った友人の勧めもあり、知床五湖に行くことに決めた。
8時20分発。カネラン峠を通る。このあたりの鳥は車が来ても避けない。車が避けていく。轢いたかと思ったが通り過ぎると羽ばたいていた。あわくってしまった。陸別でも、スピードを落として鴉を避ける
トラックを見たことがある。トラックが通り過ぎてゆっくり鴉は飛び去った。こちらでは、車が避けてやらなければならない。
寄り道に選んだのは、摩周湖を違う角度から見たい、と第三展望台に行く。途中、双岳台で雄阿寒岳と雌阿寒岳を少時眺めた。
「どうして、第二展望台がないのだろう?」
答えは出ず、道の駅「摩周湖」にて霧が晴れているか確かめて向かう。
駐車場は小さく観光バスを誘うほどの広さはなく無料であったが外国の方が多く訪れていた。
湖水は綺麗なブルーだった。日本語で色を表現すれば何色にあたるのかわからないが、兎にも角にも美しかった。第一展望台よりこちらの眺めが気に入った。眺めていると、不意と吸い込まれそうになる。
神秘的、が間違いない。
[道の駅 スタンプラリー2017]のスタンプ押し。
道の駅「パパスランドさっつる」のトイレはこれまでで一番綺麗だった、と妻が言った。
道の駅「メルヘンの丘めまんべつ」で勧められた『天に続く道』を探したが見つからなかった。
「オシンコシンの滝」は、これまた外国の方が去っては寄せて賑わっていた。
道の駅「しゃり」に立ち寄ると観光バス3台が道路に停まっていた。すべて外国人を乗せた観光バスだった。そのうちの一台は白人を乗せていた。
昼時となり、そこを早々に立ち去り食事処を探した。「しれとこ味里」で名物そばを食べた。
道の駅「うとろ・シリエトク」に寄ってスタンプ押し。ここのトイレも綺麗。
「知床五湖」到着。高架木道の全長約800mを歩く。暑い。その代り知床連山や遙かに広がるオホーツク海が見えた。特に、一湖の湖面に映る知床連山が美しかった。
一人旅している女性が二人いた。そのうちの一人に頼まれてカメラのシャッターを押した。
「家に帰って一人で見る写真は淋しくないか?」、と妻に言うと、「旅の思い出を友達に見せるかもしれない、賑やかに」と答えた。そして、「女が一人旅しているから淋しいなんて昔の話、気楽でいいのよ、
ひとりは・・・」と加えた。
高架木道からカメラを落としたと男性ガイドに助けを求めているカップルがいた。カップルが去ったあと、妻とそのあたりを覗き込んでみたが見当たらなかった。落とした者でしかわからないほど笹が覆っていた。
況して電気柵が張り巡らされているので勝手に下りて取りに行くことができない。ヒグマが潜んでいるかもしれない。
高架木道の出入り口まで戻ってくると、施設員三人とカップルが落とした場所に向かって行った。
道の駅「うとろ・シリエトク」にあった地図で『天に続く道』がわかった。帰りに寄ることにした。海に向かって伸びる道は他にもあった。どうしてこれを喧伝するのかわからなかった。斜里で見られるのは
此処だということだろう。人寄せに何処も苦労している。
顔がほてっている。日に焼けた。地元に日焼けした顔で帰れば、本当に一か月も北海道に滞在したのか、と問われそうだ。
6月19日(月) 実際の気温18° /12°
天気予報とにらめっこして出掛けるか出掛けないか決めている。
今日は曇り時々晴れなので、昨日の暑さに参っていたものの近くに行くことにした。
午後2時前、クリンソウを見に行くことにした。丁度、昨日、一昨日は【ノンノの森フェスティバル】第12 回クリンソウまつりがあったので混雑を避けることになった。
最短で行ける道が通行禁止になっていた。
「ランプの宿 森つべつ」のホテル散策路内に“くりんそう”の群生地があった。絶滅危惧種指定でもあるらしい。50センチほどの茎に、小さな花が数段にわたって輪生し、その様子がちょうど仏塔の先の
「九輪」に似ていることから、クリンソウと呼ばれている。湿地などに咲くので、群生地には水辺を伴っている。外来種もあるらしい。
道の駅「あいおい」に寄ってスタンプを押す。鉄道客車が展示されていた。北海道は廃線になった線区が多く、こうして廃駅近くに機関車、客車を展示して観光に活用している。
午後5時20分過ぎに帰り着く。Aコープに買い物に出掛けようとしたところに清水さんが来られる。
ゴミだし、空き家のことなどいろいろと話しているうちにAコープが閉まる6時前になる。慌てて話を打ち切って向かう。
間に合ったのだが、閉店は3月から6時半になっていた。道の駅は6時に閉まる。それと勘違いしていたようだ。
帰り道、各家の庭の花を撮影する。そのうちの一軒から私たちより年上に見えるご婦人が庭に招き入れて下さった。珍しい高山植物が咲いていた。
「たくさんの種類が咲いていますね」
「こったらべっこ・・・」
道路脇に花は植えない、という。「雪ハネが、んでね庭の奥になげるだわ」
除雪車が雪を庭の奥に捨てるという。情景が想像できない。
「ありがとうございました」
「いやいや、なんも、したらね~」
先程、清水さんとお話しした中で「天文台の近くに咲く高山植物の花を見に来られる方もおられますよ」ということであったが、それは「3000メートルの山に咲く、山の花の女王といわれる『こまくさ』
ですよ。陸別の方の御庭に咲いていますよ」、と妻が言うと清水さんは驚かれていた。
「れぶんあつもりそう」とまでもいかないが、「こまくさ」なら十分観光に役立つ。
ルピナスが咲いている。妻は種が欲しいという。移植は根付かないという。庭いじりをしていた夫人が、自然に増えていく、と言われる。Aコープに種が売っていないか確かめる、と妻が意気込んで言う。
6月20日(火) 実際の気温18° /11°
午前6時起床。
生ごみを捨てて、8時「風のガーデン」に向けて出発。
9時半前後に道の駅「ピア21しほろ」で休憩する。
10時頃、道の駅「うりまく」に立ち寄る。ここから休まずに、道の駅「南ふらの」でスタンプを押すためひたすら走る。午前11時過ぎに到着。
時々目にする畑の真ん中にポツンと1本・・・これは入植した際に最初に家を建てたときに植えたもので、家の場所を変えても開拓をした初代が植えたものは切れない、ということらしい。防風林として
機能しないが農作業の休憩時に日陰となる。
「風のガーデン」に向かう前に、昨年も訪れた富良野「そば屋十六文」で蕎麦を食べる。相変わらずおかみさんが忙しく立ち働いている。私たちが店を出るのと擦れ違いに若い二人連れが入っていくと、
女将さんが出てきて閉店の看板を掛けた。
午後一時過ぎ「風のガーデン」に到着。
女性は花好きなのか女性グループが多い。そして、ここも外国の方が多い。カップルの女性がハシャイデいる言葉を聞いていると韓国語と中国語が多い。写真を撮る人が多く、自撮り棒がそこかしこに立っている。
「ニングルテラス」を巡り「珈琲 森の時間」に下って行く。
ブレンドコーヒー600円だった。自分でコーヒーミルを回すカウンター席は満席だった。
4時過ぎ、花「ラベンダー」探しに行く。そば屋の庭のラベンダーが咲いていなかったのでここも開花していないだろうと思いつつ「富田ファーム」を訪ねると、やはり咲いていなかった。
午後5時40分、富良野駅横のホテルに着く。日本人は泊まっているのだろうか?
夕食は、「くまげら」に出掛ける。居酒屋に行くことがないので、高いのか安いのかわからない。女の子(留学生?)が多く働いていた。店の従業人が不足しているのか、台湾・中国などから多くの観光客が
来るのか、その応対のために雇っているのだろうか?これは、斜里町の飲食店でも見受けられた。その店の女性従業員はフィリピン人だっただろうか?
それより、店の横にサクランボが鈴生りに成っていた。鳥除けに網とCDがぶら提げてあった。一つ取って頬張ってみたかった。
禁煙室・セミダブルベッドの部屋。65歳の老夫婦には拷問のようであった。明日は、また花見。
6月21日(水) 実際の気温21° /13°
花を観る前に「青い池」に行くことに昨夜相談して決めていた。
「青い池」が観光地として急浮上してきた。昨年、9時頃には人で溢れたので9時までに見てしまうことと決めた。8時に出発。8時40分に到着。
池沿いに歩いて引き返してくると高校生の集団が入れ替わりに池に向かっていた。呑みこまれてしまうところだった。
『北西の丘展望公園』に行く。そこに数軒の店が並んでいる。その中に並んで二軒の写真館があった。
そのうちの一軒で、「写真家である夫が17年前の冬に撮った写真です。このころは笹が蔓延っていて誰も入ることができなくて、熊もいますしね」と「雪の青い池」の写真を見せてもらう。川を堰止めたころは、
池に立っている木々は高かった。
外国の方と修学旅行の生徒たちで賑やかだった。
修学旅行に来ていたのは、京都「城南菱創高校」だった。妻は新任で宇治に住んでいたから、それとなく尋ねていた。
「城南高校と西宇治高校を統合し、西宇治高校の校舎を利用して開校しました」という説明で、妻は懐かしがっていた。城南高校前の店でよく食事したけどどうなったのかな?それには、40年以上前の話だから
生徒が首を傾げるのも無理ない話だった。
引率の先生が「次は『青い池』」というと、「また、やまのなかぁ~山行き過ぎぃー」と女生徒が言った。その口振りがおかしくて妻と何度も真似して笑った。
北西の丘展望公園の観光案内所で教えてもらった「丘のまち びえい ふるさと市場」の棚に作物は殆ど残っていなかった。アスパラを買う。二日後に収穫が終わるという。
もうひとつ教えていただいたのが、「フェルム ラ・テール美瑛」に隣接する「愛を積むひと」(2015年公開)のロケ地。ロケ地に選ばれる場所は本当に足を止めてしばらく眺めていたいと思える場所ばかりだ。
そして、北海道ブルーリストにも記載されているコウリンタンポポが綺麗に群生していた。
(コウリンタンポポにはもう一つの別名もある。エフデタンポポとかエフデギクというのである。首の長い立ち姿が絵筆を思わせるからその名がついたらしい。なかなかに優雅なネーミングだ。この名前も
外国の影響で生まれていた。アメリカに導入された時につけられた名前が「ビーナスの絵筆」。そこからエフデタンポポの別名が付けられた。ところが、アメリカではこの花のあ
まりに強い繁殖力のためにいつしか「悪魔の絵筆」と呼ばれるようになったことは意外に知られていない。天使から悪魔に変わっているのである。)
次に今日の目的の一つである「四季彩の丘」に向かう。
日本人に会うのが珍しいと思えるようになっていた。「ラベンダー」は咲いていなかった。それにしても広大だ。昨年も遣って来たが、また広くなったのだろうか?全体は、未だ満開にほど遠かった。
午後一時を過ぎていた。昼食に「富良野ワイン工場」のラベンダーを見てから、「ふらのワインハウス」で一番人気の「チーズフォンデュ」を食べる積りであったが、ラベンダーがまだ咲いていないことは
分かっていたし、チーズフォンデュは京都でも食べることができる。なら、本場のマトン?ラム?(羊)肉が食べたくなった。
「ひつじの丘」で食べることにした。
給仕してくれた青年が京都・右京区(嵐山)出身だと自己紹介してくれた。私たちの住む地元のことで盛り上がった。彼は住み込みで働けるところを探して日本全国を回っており、前に訪れていたので
ここで働かせてもらっているということであった。
初めての羊肉は美味しかった。臭みを取るために調合した液に漬けているのだろう。
会計支払いは店長が受け持っていた。
「北海道は初めて?」
「いえ、僕は家内より一回多く、五回目です」
「北海道何日目?」
「もう、二十日程居ます」
「なんで?」
「二地域居住地探しです」
「移住するの?」
「それの体験、ちょっと暮らしです」
「何処に?」
「日本一寒い陸別町です」
「何処?・・・どこの空港が近い?」
戸惑った。北海道の方が知らない。小さな、2,500人程の町で、日本一寒い陸別町ですが・・・
「・・・女満別空港です」
「だれも乗らないね。だから飛ばせないよ」
「・・・」
「何して食べているの?」
「酪農と林業・・・その他これと言った産業はないようです・・・」
「終いに無くなるよ・・・暮らしていけないよ」
これが現実なのだろう。
「ふらのわいん工場」に行く。
ワインの試飲を妻がしたが、最前の「ヒツジの丘」で呑んだビールで酔ったらしく味がわからないと言う。それなら、ということでブドウジュースを試飲する。酔った体に頗るおいしいと妻が言う。
ブドウジュースと限定キングサイズワインを買う。
陸別町のお土産をまだ買っていない。「キトピロの塩」「キトピロの味噌」はどうだろう?キトピロはアイヌ語で行者にんにくのことである。陸別産のキトピロが使ってあればお土産に相応しい。
道の駅「自然体感しむかっぷ」でスタンプを押す。
道の駅「樹海ロード日高」でスタンプを押し、274号線で帰途に就く。だが、清水町へは土砂崩れで通行禁止だと、遮断ゲートまで来て引き返す。
そこで、道東自動車道「占冠」から「十勝清水」まで無料ですからそれを利用して帯広方面へ行ってください、ということだったが、「十勝清水」の料金所を通過すると1,410円課金された。
遠回りした所為か、200キロ走らなければならない。雨が降るところ降らないところを走りながら、たっぷり時間があるので、信号のない直線道路が眠気を誘わないためにも、陸別町の行く末について妻と話す。
「町長が観光を勧めて下さったから観光ばかりしているけど、『ひつじの丘』の店長の言葉は切実だったね」と妻が言う。
『ひつじの丘』の店長、「陸別の人は何で食っているんだ」
酪農と林業・・・銀河の森(オーロラ)天文台、陸別(ふるさと銀河)鉄道、日本一寒い町で観光客を呼び込んでいる・・・と挙げると、
「星が綺麗だから銀河の森で売っているのかもしれないが、北海道の何処彼処もそれをうたい文句にしている。ここも(星に手のとどく丘)で売っている」
そういえば地元に「天文館パオ」がある。
「天文台など都心でもあるだろう、京都なら嵐山トロッコ列車があるだろう・・・」
京都右京区・嵐山出身の従業員の方を見て続ける。
「日本一寒いってマイナス要素だろう。誰がそんな寒いところに住む?」
確かに、である。
「陸別町紹介動画、『PRショートムービー「りくべつ 夏」』を作成して頑張っています」
「誰に対してPRしているんだ?」、と店長。
私にもわからない。
「さっきから気になっていたんだけど、『四季彩の丘』って農協が開設して運営しているのかしら、それとも個人企業?」
「四季彩の丘を始めた7年前に『展望花畑 四季彩の丘』を開設したのは、美瑛町農協の理事でもある熊谷留夫・・・丘陵に花を植え、都市からの観光客を呼び込むことを思い立つ。しかし、当初は周囲を
説得してもその価値を理解してもらえなかった。四季彩の丘は99年から着手し、2001年にオープン。すべて熊谷が一人で始めた。約20年前から美瑛町農業協同組合の理事を務める
熊谷は、かつて農協にその開設を何度も働きかけた。しかし、理解は得られなかった。
『そんなに儲かると言うのなら、熊谷さんがやればいいじゃないか』
熊谷は、その言葉で踏ん切りがついた。そうして7年前に、花作りの経験などない熊谷の手によって、四季彩の丘はオープンされたのだ。
美瑛の人々の意識も変化が起きてきた。最初は遠巻きに熊谷の取り組みを眺めていた農家や農業関係者たちも、道内の新聞やテレビが積極的に四季彩の丘を取り上げ、訪れる
観光客が増えるようになると、熊谷の事業に共感し、感謝してくれるようにもなった。
また、熊谷は四季彩の丘を始める約10年前の92年にはペンション「ウィズユー」を開業した。また、これも実現するまでには大きな困難があった。
ウィズユーは上川地区での初めての農家ペンションであり、人々の農家ペンションに対する理解もなかった。不動産業者による農地買収が盛んだったバブル期の名残もあって、
農地転用に対する人々の目にも厳しいものがあった。農業委員会から許可が下りた後ですら、道内の経済誌に熊谷の行動を批判する記事を書かれたりもした。地元の人の悪意の
中傷がその記事の元になっていた。
熊谷の家は水田を中心に畑を含めても10haもなく、北海道では小さな部類に入る農家だった。折から生産調整を機に離農するという人が町内にいて、7haの規模拡大ができた。
それでも15ha。北海道では小さな規模である。しかし、丘の町と言われる美瑛にあっても熊谷の農地は平場の水田がほとんどだった。当時であれば十分に食べていける規模
だった。半年は農業をして、冬には好きなことをやって暮らすのが北海道農業の良さだと思っていた。
「観光ばかりしていては申し訳ないね」
「・・・喧噪のない、歩いて回れる小さい町が理想で陸別町を選んだけど・・・」
「・・・でも、動くとしてもヘイ・オン・ワイには古城があるでしょう、陶磁器のほかに観光客を呼べるものがある?」
「旅行、観光を兼ねて来てもらえるように空き家を一軒ずつギャラリーに整備して町全体を陶磁器の町にする」
午後10時前に帰り着く。
6月22日(木) 実際の気温19° /15°
カーテンを開けると木々が揺れて風が強い。休息日。
午前8時半、清水さんが私の前半日記を記録したSDカードを返しに訪ねて来られる。明日、東京に出張する、と告げられる。移住者を募る説明会があるのだろうか?
そして去り際に、これまで町興しの提案がいろいろなされてきたのだろうか、「町は動かない」といわれる。
私に、頑張っていただく、と言われて役場に向かわれた。
清水さんは埼玉出身だ。余所者である。お父さんが5歳まで陸別に住んでいた縁があって、小さいころはおじいちゃんおばあちゃんの家に春・夏・冬休みなればお世話になり、大きくなってからは休みを
利用して来ていたという。おばあちゃんが、職員募集しているよ、って連絡してくれて・・・前から此のあたりに住みたくてお願いしていました。
忘れないうちに、終日日記を書く。
忘れないうちに写真を整理する。
6月23日(金) 実際の気温24° /14°
午前5時半起床。
朝日が雲間から漏れている。
天気予報を確認する。晴れるなら花のガーデンめぐり。
なかなか結論が出ない。
漸く、帯広は晴れるという予報で10時過ぎ出発。
行先は「紫竹ガーデン」。
10時出発。帯広は豚丼が美味い、ということで立ち寄った郵便局の駐車場で地元の婦人に美味しい店を尋ねる。
「私は脂気が多いのは好きでないけど、多くても構わないなら、『ぱんちょう』に行かれたら」
だが、取り敢えず「紫竹ガーデン」に行く。
ブログに「お金を取って見せるなら雑草の始末をして」とあったが、パンフレットと違い酷い物であった。それにしても、「北海道ガーデン街道 八か所」の一つになっているが、駐車場は狭く観光バスは
道端に止めるしかないだろう。関西の旅行会社が送ってきたパンフレットに『北海道ガーデン街道全八か所をめぐり名湯でゆっくり寛ぐ華の北海道3日間』が掲載されていた。見事に咲いている「花の紫竹
ガーデン」が映っていた。
車中、携帯電話が鳴る。娘が昼休みになったのでメールを送ってきた。「小林麻央さんが亡くなった」という内容だった。午後2時半から会見があるという。
妻が同じ病気だから心配して娘が送ってきたのだろう。
「豚丼で腹を満たせば『紫竹ガーデン』の怒りも収まる」と向かい掛けたが、道の駅「なかさつない」が近かったのでスタンプ押しに行く。
そこから「六花の森」が程近いと知る。ここも「北海道ガーデン街道 八か所」の一つになっている。これまで訪ねた「北海道ガーデン街道 八か所」の「紫竹ガーデン」を除いて従業員がそれなりの
作業服を着用して多く働いていた。「紫竹ガーデン」は近所のおばさんたちがお手伝いに来ているようだった。こちらが挨拶しても返してこなかった。
「六花の森」は綺麗に整備されていた。
「レストハウス&ショップはまなし」でランチの時間が過ぎていたので、「マルセイアイスサンド」を食べる。「りくべつミルクのおあずけプリン」(プレーンとかぼちゃ)とどちらが好みだろうか?
ここの店員の応対は始終笑顔だった。
「早く家に帰りたいね」と妻が言う。
二十日過ぎて陸別を「家」と言うようになっていた。
静かで、ゆっくりと時間が流れている。ここは取り残されたようにひっそりしている。だけど、穏やかな暖かさがる。
人が作ったガーデンや公園にない落ち着きがある。『家』に帰りたいと思うようになっていった。「家」に帰り、近所の花を眺めながら散歩がしたい。
3時半頃に帰宅の途に着く。帯広を横切るのに幾つもの信号で止まった。都会の景色はどこも同じだった。これでは、午後6時に帰り着かない。
音更木野SS・ENEOSのガソリンスタンドに寄る。1ℓ126円。
セルフとある。店員を呼ぶ。セルフガソリンスタンドは二度目だ。丁寧に教えてもらう。
「陸別はこの道でいいですか?」
陸別を知らない、と高校をこの春卒業したての若者が言う。
「足寄の先」
「足寄なら、『ネイパルあしょろ』に体験学習・宿泊研修で行きました」、でも陸別は知らないという。
道が直線になると、北海道の食事は概ね満足したが、これまで食べた中で不味かったものを妻と話し合った。道の駅「流氷街道網走」「しれとこ味里」の料理は不味かった。ガーデンと呼ぶに相応しくない
と思ったのが、「紫竹ガーデン」で、これまで通り田舎のおばあちゃんの庭でよかった。
道の駅、「オーロラタウン93」で予約していた「りくべつ低温殺菌牛乳」の受取時間に間に合わなかった。午後6時10分位にAコープに帰り着く。
6時半に帰宅してテレビを点けると「北海道ちょっと暮らし利用ランキング」平成27年度実績を放映していた。1位が釧路だった。陸別は利用者数等上位10市町村で表示されなかった。
清水さんが東京に陸別移住促進の説明に行かなければならないのがよくわかる。
撮り溜めた写真を見る。
6月24日(土) 実際の気温20° /13°
妻が起きて、小林麻央(享年34歳)のテレビニュースを見ている。
続けて「ひよっこ」を見ている。
掃除。
買い物先の相談。足寄駅まで34.1キロ、グリーンコープ津別まで38.3キロ、イオン北見まで54.4キロ。結局、Aコープに決まり。
晴れ間が出てきた。寒いと思って重ね着をしてきたが暑かった。
町を歩くときはカメラをいつも携帯して写真を撮っている。野菜を植えている同い年くらいの男性に声を掛ける。
「ここはみんな勝手に好きなことをしている。若い者は出ていきたければ出ていけばいい。死ぬまで楽しく暮らせればいい、その先のことは知らない」
でも、それなのに人口は横ばいだという。高校を卒業して出ていけば代わりに若い人が遣ってきているという。
平成26年7月頃は2,595人で平成29年4月現在は2,482人である。これを、おおらかに「なぁんも、横ばいだべ」というのだろう。
その場を辞して「イベントなどは移住した人が遣っているのだろうか?」と言うと、「コウリンタンポポ、ね」と妻が言った。
しかし、陸別の良さは小さい町につきものの「プライバシーの無さ」がここでは無縁である。適当にほっといてくれる。
こちらが求めなければ、「陸別移住を応援する会」に声掛けしなければ、「陸別移住を応援する会」からの声掛けもなく宿を借りているだけである。野尻町長も、移住について、二地域居住について
質問されなかった。ただ、観光を楽しんでください、と謂うことだった。
通りに飲食店がある。陸別の人はよく利用しているのだろうか?パン屋が無くなった、と言う。食堂が一つあれば事足りる小さな町だが・・・「コミュニティプラザ☆ぷらっと」に「レストラン陸別天地」
「すし藤」「居酒屋花むすび」がある。町外からくるサラリーマン・役人・森林関係・酪農関係などをもてなす場所として必要だろう。
Aコープで酒の肴を買う。
酔った目で写真の整理。
6月25日(日) 実際の気温17° /12°
6時起床。
今日も薄暗い。
こんな日は出掛けない。音楽を聴いて日を過ごす。
持参した、倉本聰「ゴールの情景」を読み始めた。
外は雨だがお土産を買いに行くことにした。「果夢林ショップ」で薄荷飴の詰め合わせを買う。妻が、おかしいと言う。前に来た時に、500円くらいと思っていたのに・・・実は私もそう思っていた。
500円なら安いと思いお土産に買って帰る積りであった。それが、800円で売られていた。私たちが間違って覚えていたのか?店員が間違えて値札を貼っていたのか?それとも、値上がりしたのだろうか?
前に一度食事して美味しかったので、「ファミリーレストランe'f」にて昼食。
「オホーツク北見塩やきそば」、「ハンバーグドリア」、「おすすめのハンバーグステーキ」を二人で食べる。
隣の客が出掛けに「お先に済みませんでしたね。私たちが入ってきたときにはもう席に座っておられたのに、店員を呼ばれなかったから遅くなってしまい・・・」と謝りを口にして出て行かれた。そういえば、
呼び鈴を押さずに客が引くまで待っていた。
道の駅「おんねゆ温泉」から帰り道、道の駅全てで地元の窯元が陶器を売っている、と妻が言った。
私もそれに気付いていた。
美濃焼の美濃市と姉妹都市として提携しているのか、道の駅「ピア21しほろ」に美濃焼が紹介してあった。
全国陶器まつり(全国陶器祭り振興会)が帯広・釧路で開催しているらしい。もう終わったかもしれない。それが成功しているなら、陸別で陶磁器の「ギャラリー落紫舎 陸別」を開店するのはいいことである。
午後3時前に帰り着く。
空き家を見て回る。
清水さんは成果を揚げ東京から帰って来ただろうか・・・
「北海道ちょっと暮らし利用ランキング」平成27年度実績1位の釧路の様子を見に行かなければ、と酒を口にしながら思っている。
午後7時からJリーグ・ガンバ大阪の試合中継があるから、酔って寝てはいけない。雨の夜に素敵な時間を貰っている。それまで、倉本聰「ゴールの情景」を再び読みだした。
そして、試合が始まるまで写真の整理をする。
6月26日(月) 実際の気温17° /12°
何度も灯油ファンが点いた。
木々が揺れている相変わらずのカーテン越しの朝である。
陸別の人は風に弱い、という。
扇風機の風を涼しいと感じるのだが、こちらの六月の風は寒い。
11時になって、「おけと勝山温泉ゆぅゆ」が今月の「ふろの日」だから入りに行くことにした。ポイント5倍、アイスクリーム200円が100円、ビール500円が250円だった。
空腹では不味いということで食事を摂ることにした。
隣のテーブルでご高齢の男性がアイスクリームを股の間に落とした。奥さんが慌てて拭いていた。それに気付いた店員が、「床は私が拭きますから・・・」
「ボケ老人だ」
アイスクリームが溶けて股間に染みができ、失禁したと思われると心配したのだろう。
「大丈夫ですよ。本当にボケたなら気付きませんし、そんなことも言えません」と店員が小声で言った。周りは微笑みに包まれた。
ラーメンセット、うどんセットを頼んだ。「ふろの日」だからビールが半額だった。妻に頼んだ。すると、妻が、大好きな推理ドラマを真似て、「保険金殺人だ」「そう思いませんか?」「おまえだって、
ふろの前にビールを飲むか」「私だって、ビールは風呂上がりに飲みたいと思います」「だろ」「風呂に入る前に飲ませて溺れるか倒れるか狙ったんだ」「これは殺人ですね」
そう言って妻は呑んだ。
酔いを醒ますために従業員に何時過ぎれば少しは空きますか、と尋ねて、置戸「オケクラフトセンター森林工芸館」に行く。
白樺の木で作った器を購入する。
『ギャッラリー落紫舎 陸別』ができたら、程近くに置戸から木工作家を呼んで工房を作ってもらうのもいい。丁度、フードセンターが空き家になっている。あれなら、木工の器械が置けるだろう。
置戸駅の、コミュニティーホール「ぽっぽ」に寄り、素人画家の絵を観て1時間ほどして戻ってきた。思い出ノートのようなものに、関東から訪ねて来た人の名前が数名記されていた。『文化の町 置戸』と、
上手く観光に結び付ければ遠くからでも観光客は来る。
露天風呂に浸かり湯花の浮遊を見ながら、今更ながら野尻町長は私たちに「ちょっと暮らし」の目的をどうして尋ねられなかったのだろう、と考えた。
「やるなら一人でやってください。それなら、私たちは反対もしないし頼まれなければ手助けもしません」
4時半ごろに帰ってきた。
暖かい部屋で炊き立ての「ゆめぴりか」を食べビールを飲む。何の憂いがあるだろう。
この家で床に就くのも残り4夜だ。
今夜も写真の整理をする。
6月27日(火) 実際の気温19° /11°
放送で起床。
早速テレビを点ける。
藤井4段29連勝、新記録がトップニュースである。すごい中学生だ。私が中学生だった頃、こそこそしていたように思う。あれだけのカメラの前で堂々としている。
「北海道ちょっと暮らし利用ランキング」平成27年度実績第1位の釧路を確かめたかった。
観光地を検索したが何もなった。釧路湿原と阿寒湖だった。
写真に収めるには、摩周湖なら私のようなものが撮ってもそれなりに映るのだが、この季節の釧路湿原と阿寒湖は無理だった。冬こそなれば、と思う。
それならと午前10時前に道の駅のスタンプ押しに出掛ける。
「阿寒丹頂の里」に行く。カネラン峠を少し下ったところに砂利が敷き詰めてあった。「とかちであそぶ観光MAP」に未舗装と書いてなかった。しばらく下るとまた敷き詰めてあった。そしてまた敷き詰めて
あった。この前に走った時から少しの間に砂利が敷かれていた。タイヤが滑る。
12時前に着く。「赤いベレー レストラン鶴」で食事をする。昼食時とあって混んでいた。一番人気「阿寒ポーク とろ玉かつ丼」を食べた。
次の道の駅「しらぬか恋問」に到着。砂浜に行く。太平洋だ。妻が、拾う貝殻がない、と歩き回って言う。
「恋が叶うポスト」。このポストの裏に、思う人に手紙を書いて投函するように、と促すメッセージが書いてあった。
同じ道を引き返して帰るのも芸がない、と言うことで白糠に向かう。自動車専用道路(無料)を行かずに392号・274号線で帰る。浦幌に近づいた山の中で「くりんそう」を見つける。道路の下に沢がある。
その脇にてんてんと咲いていた。道路脇にも飛び飛びに咲いていた。これだから、脇道を走るのは楽しい。
これに気をよくして、道の駅「ステラ★ほんべつ」で相談して、足寄駅から「もろこし街道」を辿った。
私たちの後ろに神戸ナンバーの車が続いていたが、余りにゆっくり制限速度で走ることに苛立ったのか追い越して行った。大方、阿寒湖方面の宿に向かって急いでいたのだろう。
「螺湾」と標識が読めた。このあたりに松山千春が背比べしていたラワンぶき自生地があるのだろう。それなら、松山千春の生家に寄って行けばよかった。
5時前に帰り着いて清水さんに電話をする。着信音が鳴っているが出られない。仕事が混んでいるのかもしれない。いよいよお別れの日が近づいてきたので退去についての取り決めがあるのか教えて
いただこうと思った。
午後6時前に、わざわざ訪ねてきてくださった。
玄関先で、これまで日記に認めた事柄を手短に話させていただいた。
見つけていた空き家を思い出す。
私の想いを伝えたので今夜は心地良く寝られる。
その前に、最近寝る前の日課になった写真の整理をする。
6月28日(水) 実際の気温23° /11°
退去する前に、庭の雑草を刈って綺麗にしておくように、との申し合わせ事項があったが、今朝取決め事項を読み返して知った。庭の雑草は、確認するとそれほど伸びていなかった。
庭に物干し台が備えてある。
これまで家の外に洗濯物が干してないことに気付き、それを不思議に思っていたが家の中で乾くことを知った。
妻は、地元では梅雨だと2・3日でも洗濯物がすっかり乾かないので、また陸別は寒暖の差が激しいと聞いていたこともあり肌着から洋服までたくさん持参していた。
でも、ただの憂いごとであった。
夜に洗濯して干して翌日外出から帰宅すると、大抵一日位で乾いていた。そして梅雨というものが内地と違っていると知った。
陸別に惜別の意味を込めて11時頃に散策に出る。
徳冨健次郎『みみずのたはごと』に陸別について書かれた箇所がある。
「陸別は古来鹿の集る所で、アイヌ等が鹿を捕るに、係蹄にかゝった瘠せたのは追放し、肥大なやつばかり撰取りにして居たそうだ。鮭、鱒、なぞは持ちきれぬ程釣れて、草原にうっちゃって来ることもあり、
銃を知らぬ山鳥はうてば落ちうてば落ちして、うまいものゝ例にもなる山鳥の塩焼にもいて了まった。たゞ小虫の多いは言語道断で、蛇なぞは人を避くることを知らず、追われても平気にのたくって居たそ
うな。寒い話では、鍬の刃先にはさまった豆粒を噛みに来た鼠の舌が鍬に氷りついたまゝ死に、鼠を提げると重たい開墾鍬がぶらり下ってもはなれなかった話。」
昭和61年 カナダ・ラコーム町と姉妹都市提携調印が成されている。
焼き物の窯があったのだろうか?
道を間違ったところに町営サッカー場があった。蹴ってみたいと思う。サッカーの監督をしていた時、北海道に合宿で来たことがある。その当時珍しかった天然芝コートに憧れて来た。
関寛斎のことは何も知らない。消防署横の広場に銅像がある。「関寛斎診療所」と名付けられている。陸別にとって特別な人であることはわかる。
「国指定 史跡ユクエピラチャシ跡」(青龍山)に行く途中道に迷う。
ユクエピラとはアイヌ語で「鹿・食べる・崖」の意であり、チャシ跡はアイヌ文化期(13~18世紀)の砦跡と言われている。
擦れ違えない登り道になった。
一向に、駐車場に出ない。暫くして「陸別配水池」と書かれた建物の前に出る。ここで引き返した。
太くて長い蛇に出くわした。
先程の、徳冨健次郎『みみずのたはごと』に「蛇なぞは人を避くることを知らず、追われても平気にのたくって居たそうな。」とある。車が通り過ぎて振り返ると平気にのたくっていた。最前追い越した
散歩中の老夫婦にまた出会った。
「この間も見物に来られた千葉のご夫妻も間違ってまた引き返してこられましたよ」
立て看板が小さくて判りづらいですね、と言われた通りの看板だった。
それより、「大きな蛇に出くわしましたが、蛇がいれば蝮もいるでしょう?」と聞いた。
「蝮はいませんよ」とはっきり言われた。私の中では同じ蛇なのに、と納得いかなかったが、野尻町長も「蝮はいない」と断言されていた。
漸く駐車場に着いて白樺の道を歩き始めた。
此方を見ている目に遭った。
關寛翁碑文に行き当たった。
(青龍山)から陸別の街を見下ろしているとこちらに向かって三人の人影があった。
陸別の街を眺めようと思ってこられたのだと思ったが違っていた。「この人たちを案内してきたのです」と一人が言われた。関寛斎の生き字引という斎藤省三という方だと後で清水さんに教えていただいた。
徳富蘆花を通してトルストイ主義に近づき、とあるのだが、私は陸別町の牧場の牛舎?に掲げてある「キリストは永遠の命を与える 聖書」と寛斎が関係しているのか気になっていた。それはところどころの
牧場に掲げてあった。
陸別町には立派な本證寺・妙法寺・正見寺・円覚寺が国道242号線に並んで建っている。
銀河の森天文台(りくべつ宇宙地球科学館)まで山道を歩き辿り着いたが開館前だった。コマクサが咲いていた。
山道を下った。
退去のため部屋を片付ける。
午後6時、退去のため清水さんが部屋を検める。
明日、8時にカギを受け渡す約束をする。
6月29日(木) 実際の気温21° /14°
朝8時、清水さんが来られる。鍵を渡す。8時13分出発。小樽まで時間を要す。出港に間に合わない事態が起きて乗船できなければ困る。それから、北海道にもう来られないかもしれない、と[道の駅
スタンプラリー2017]冊子のスタンプ押しのため、予定を一日早めて陸別を去る。
9時丁度に「道の駅おんねゆ温泉」に着く。
からくり人形が動く。
ショップに行き薄荷詰め合わせの価格を確認する。800円だった。
20分ほど居て、次第に陸別から遠ざかっていく。
道の駅「丘の蔵 美瑛」に到着。美瑛駅の隣だった。
昼食は「カフェレストランおきらく亭」のおすすめ「ポトフ」を食べる。シャンソンが流れていた。
「ラベンダーが見たくて、一週間前に来てもう一度寄ってみたのですが・・・」
「例年ならもう咲いていますが今年は寒かったのでまだ咲いていませんね」
「愛を積むひと」のロケ地までの道を尋ねる。まだ観光地としては新しいので地図に掲載されていない。
ところでこの近くにあった風呂屋はありますか?
「ありますよ」、と言って店の中から斜め方向を指差した。
25年程前に美瑛の丘を自転車で廻って汗を落とした風呂屋が建て替えられていた。建て替えたということは美瑛市の街作りに沿ったからとはいえ観光客相手に営業が成り立っているということである。
「カフェレストランおきらく亭」を2時に出る。店を出掛けに「ポトフ嫌いですが美味しかったです」
妻が、店を出たところで「ポトフが嫌いでなく、ポトフが苦手とか言うの」
「愛を積むひと」に使用された石積み塀の家を写真撮影して2時40分に離れる。
ラベンダーを妻に見せたくて「四季彩の丘」にまた行く。
「四季彩の丘」2時50分過ぎ到着。
矢張り、ラベンダーは咲いていなかった。外国人で溢れかえっていた。台の上に売り物のトマトが載せてあり、その横に写真撮影お断りのマークと言葉が添えられていた。何で?
15分ほどで「四季彩の丘」を退散する。
道の駅「スタープラザ☆芦別」に立ち寄る。午後4時着。20分ほど居る。
途中、高速無料道路の入り口を入ったところで行先を間違え、また同じインター入り口に戻る。旭川市内を走るのは厭だったから旭川と標識が出ていたので回避した。それが徒になった。
「四季彩の丘」に寄ったために小樽で寿司を食べる時間がないと、予定していた道の駅に寄ることを断念する。
小樽まで海沿いを走りたかったのだがそれも諦める。
舞鶴からフェリーで小樽に来た夜に泊まったホテルに午後7時前に着く。駐車場に車を預けて19:28小樽築港駅発、小樽19:34着の電車に乗るため急ぐ。
小樽駅からそちらの方向に向かって歩き出した。妻は大人しく付いてくる。また来るとは思っていなかったので、店の名前もうろ覚えだった。道行く人に聞こうと思っても尋ねることができない。店は寿司屋通り
から外れていた。
見当をつけて路地を歩いていると昨年も来た「魚真」を探し当てた。カウンターに案内された。8時半オーダーストップだと言われる。隣の二人連れの女性客が寿司を三貫残して店を後にした。何故だろう?
気になった。それは、食べてみて分かった。観光客を相手にしだすと地元の人は離れ、味は確実に落ちる。
21:37小樽駅発 21:43小樽築港駅着でホテルに帰り着いた。
北海道最後の夜である。
写真を見る。フォトブックの表紙を飾る一枚を700枚近い写真から探す。そう思って見始めたが長距離移動の疲れが出て、満腹で、酔いも手伝い眠りに落ちた。
6月30日(金) 実際の気温23° /15°
今夜11時半小樽港出発だからとゆっくりと朝食を摂る。外国人客に交じって日本人客がそれでもちらほらといる。
食事のマナーが悪いと思っていたら日本人だった。
肘をついて食べる。テーブルの下で足を組んで食べる。箸を持ったまま携帯電話を使用している。食べながら飲みながらテーブルの間を通って席に戻る。喋りながら話し相手を箸で指す。
9時過ぎにホテルを出る。
最後の道の駅「スペース・アップルよいち」に向かう。施設内には余市宇宙記念館がある。
着いてみるとニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所の隣だった。
道の駅に併設されている小さな物産店で、昨年お土産として買ったチョコレートでニッカウヰスキーを包んだウイスキーボンボンのような製品がなくなっていた。店員に尋ねると、ウイスキーが品薄で
今年の春が最後でもう作っていないという。ないと分かるとほしくなるのが人情である。
ガイドツアーに参加する。
天使の分け前=エンジェルシェアとはいい言葉である。
昨年と説明が少し違う。ガイドがそれぞれに工夫して伝えようとしているのだろう。ニッカウヰスキーのニッカの由来、何故ウイスキーをウヰスキーと書くのかなど新しかった。同行者の中に的を得た質問を
される方がおられてガイドの答えに聞き入った。ガイドがその質問に的確にこたえられるのに気持ち良かった。質問も重箱の隅を楊枝でつつくような質問でなくてよかった。「研修中」のバッチを付けた新人
ガイドだった。
妻が、昨年も聞いたのでしょう?と言ったのだが、「教師によって屯田兵が等しく説明されることはない。それぞれ違う」と言ったら納得していた。
ガイドツアーの最後は試飲だった。
私の胸に「運転手です 飲めません ハンドルキーパー ニッカウヰスキー余市蒸留所」シールが妻の手で貼られていた。
3種類のお酒が用意されていた。
竹鶴ピュアーモルトウヰスキー、スーパーニッカウヰスキー、ニッカアップルワインであった。
窓際の席が丁度空いた。
妻はそれぞれの美味しい飲み方を見ては席を立って水・氷・炭酸水をウヰスキーの入ったグラスに注いで席に持ち帰り買ったつまみを肴にして「美味しい」を連発していた。
「おつまみを食べながら試飲できるなんて、長居しちゃうじゃないの、いいんですかね、いいんです、NIKKA」と誰かの口調を真似て飲んでいた。
窓の下には赤い花、コウリンタンポポが群生していた。
隣は外国人の男性二人連れだった。この二人は有料の試飲バーでも飲んでいた。大きな声は出さないが酔いも手伝っているのか笑みがこぼれていた。
私たちの後ろのテーブルに腰掛けていた中国人のグループは賑やかだった。
「美味しいね」を「ひよっこ」の茨木弁を真似て妻はまた言った。「お代わりできたらいいのにね」
昨年はそうだったように覚えている。一種類一杯きりでなかった気がする。「※蒸溜所では、見学後にウイスキーなどの無料試飲(お一人様2杯まで)が出来ます。」であった。
ブレンデッドウイスキー「鶴」17年・シングルモルト余市10年・アップルワインの三種類の試飲が日によってあるそうだ。
私はもう少し敷地内の建物など撮影したかったのだが、すっかり気分良く酔ってしまった妻がもう充分と言ったので小樽に戻る。
小樽で妻がどうしても行きたいと言ったのは「ヴェネチア美術館」と、買い忘れたお土産を買うための「六花亭 小樽運河店」だった。
駐車をどこにするか?悩んだ。その辺りに格好の駐車場がない。夜10時まで駐車するのだから料金が半端でない。「タイムズ小樽堺町」駐車場は1時間800円である。フェリーターミナルの駐車場に停めた。
そこから歩いた。
ダイアナ妃も乗ったという国賓用の貴重なゴンドラが展示されていた。「ガラスの水族館きらめく 海のファンタジー」という特別企画展があった。ヴェネチア、ムラノガラスペーパーウエイト・ウェイトが
欲しいと思ったが陸別の生活振りを想うと取り立てて必要と思われなかった。
夕食に寿司はもういい、と言うことで店を彷徨って探した。ところが6時でほとんどの店が閉まってしまう。そういえば寿司屋も9時で閉まる。北海道の人はせかせかと働かない。「食べていければいいっしょ」
探しあぐねて漸く、「契約農家、小樽漁港からの食材を活かし、小樽ならではのイタリア料理を提供させていただきます、『ぴあっと』」で夕食にありついた。「小樽生ワインボール」を妻が呑む。「気まぐれ
サラダ」を妻が食べる。「ペスカトーレ」なるものを妻が食べる。
コンビニエンスストアーで北海道限定生ビール「クラシック」を買う。小樽を発つとき、二人でお酒を呑みましょうね♪である。
フェリーターミナルにメルヘン交差点から歩いて戻る。
夜11:30小樽港を定刻通り出航する。
出航するとき汽笛が昔は鳴った。それで寂しさが募ったのだが、鳴らなければ鳴らないでまた寂しい。
6月16日から30日までの後半日記です。
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